朝日新聞土曜日版「be」に紹介されました。

2013年3月9日

カツオもフェルメールも

 いつの間にか、我が家から地球儀が消えていた。子どものころ買ってもらったものだし、何度も引っ越ししているので、当然なのだが、さて、いつ処分したのだろうか。
 新刊の『よりぬきサザエさん』で地球儀の話題を見つけ、なつかしくなった。すっかりごぶさたの地球儀。その最新情報を知りたくて、文房具大手の伊東屋(東京・銀座)を訪ねた。
 別館6階は地球儀専門フロアだった。教材用の標準的な品から、博物館にあるような巨大なものまで、さまざまな地球儀が並んでいる。売れるのは2、3月という。小学校の入学、進学祝いの定番だからだ。「教材用が今も基本ですが、最近は部屋のインテリアとして使う人も多い」と同社商品部の横山和史さん。
 国境を描かないモノクロのものや茶系のアンティーク調の品がおしゃれだ。専用のタッチペンで国旗や国をさわると、人口や面積が聞こえる、「しゃべる地球儀」もある。

 ソ連が崩壊した後、地球儀は劇的に売れたという。国境が動き、新しい国が生まれ、それまでの地球儀が役に立たなくなった。オリンピックやワールドカップの際も売れるという。世界に目が向くとき、地球儀は見直されるのだ。

 『よりぬきサザエさん』第5巻には、地球儀が2回登場する。一つが掲載作で、地球儀を壊してしまったカツオが、やむをえず一回り小さな品に買い替えた話(65年2月2日)。もう一つは、福引でヨーロッパ旅行が当たって大喜びのサザエが、地球儀をぐるぐる回しながら踊る話(64年7月18日)だ。
 実はこれらの掲載のすぐ前の64年4月に、海外旅行が自由化された。観光目的の海外旅行が可能になり、日本人は世界を意識し始めた。地球儀ネタはその反映なのだろう。世界から人が集まった東京オリンピックも64年10月だ。だから、福引の商品が海外旅行とか、「世界はせまくなったんだよ」というカツオの言い分は、理にかなっている。

 埼玉県草加市に、地球儀・天文教材の専門メーカー、渡辺教具製作所がある。1937年創業という。
 作業場で職人が黙々と仕事をしていた。半球状の球体表面に、機械で地図の部分を貼り付けている。ものにより、手貼りもあるという。いずれも職人の技術や勘が求められる作業だ。
 一方で、同社の渡辺美和子会長は「地球儀や月球儀に描かれた情報には自信があります」という。人工衛星からのデータをもとに、地形などの最新情報を盛り込む。東海大学情報技術センターなどの協力を得ているという。手作りと最先端技術が、違和感なく共存する場だ。
 地球上の光を描き出した、幻想的な「夜の地球儀」は、各国の経済活動が一目でわかる。これも人工衛星のデータをもとにしたという。
 紀元前に今のトルコで生まれたとされる地球儀は、ヨーロッパの大航海時代に、航海に必要な天球儀と対になって発達した。やはり外部世界に関心が向いた時代だ。東インド会社の富で潤ったオランダでとくに優れた品が生まれた。
 17世紀オランダの画家フェルメールに「天文学者」(パリ・ルーブル美術館)と「地理学者」(フランクフルト・シュテーデル美術館)という作品がある。前者には天球儀が、後者には地球儀が描かれているのは、そうした時代背景があるのだ。
 さて、この取材を機に、地球儀をひとつ買った。直径20数センチほどの標準的なタイプだ。居間のソファわきに置いて、ときどき回して楽しんでいる。海外旅行が当たったわけではないが。