月刊「致知」に弊社社長が紹介されました

致知 2005年11月付

インタビュー●第一線で活躍する女性
まめなコミュニケーションときめ細かな情報提供で地球儀製造の老舗を再建
夫ががんで他界 突然、四代目社長に

 ―「夜の地球儀」に「火星儀」、「ミニ月球儀」など、非常にユニークな製品を扱っていらっしゃいますね。
 渡辺 大小合わせて50種類以上、価格も3000円台から100万円近いものまで幅広く、そのほとんどがうちにしかないものです。おかげさまで「火星儀」は、一昨年、約6万年ぶりに火星が地球に大接近したこともあり、1000個以上を売り上げる大ヒットとなりました。  ほかにも、地球の平和を願って作った「緑の地球儀」などは、紛争地域や環境問題を盛り込んだ世界初の地球儀だと思います。昨年、イギリスの天文学会でうちの製品を展示させてもらったところ、大変な反響で「来年もぜひ来てほしい」とお誘いを受けました。
 ―商品開発のヒントはどこから?
 渡辺 わが社の商品開発は、東海大学情報技術センターのご協力なくしてはあり得ないものです。うちが本当にラッキーだったのは、デジタルアーカイブ(パソコンによる衛星通信のデジタル化)の技術をいち早く導入し、研究を進めておられたその東海大学と、太いパイプをつくることができたことです。  平成7年、三代目社長だった主人ががんで他界し、急遽、後を引き継いだ私に、「新しい情報がありますから、いらしてくださいね」と声をかけてくださったんです。最初は意味なんて分からないんですよ。でもお世話になっていたみたいだから、一度くらい行かなきゃなという感じで伺ったわけです(笑)。そしたら「うちにはこれだけの情報がありますから」と言って、同時にその提供料なども明確に出してくださったんですね。  また大学側も、情報というのは持っているだけでは意味がない、皆さんにシェアしてもらってこそ、その情報が生きてくるとおっしゃったんです。

火の車だった会社をわずか二年で再建

 ―ご主人が突然のがんで他界。さぞご苦労されたことでしょう。
 渡辺 会社を引き継いだ時は、新規のカタログを作る予算もなかったほど、経営状態が悪化していました。私も主婦をしながら、主人の仕事を見ていましたから、「大変だ」という声はいつも横で聞いていたんです。でも、実際に現場に入ってみると、一向に手をつけられていなかった部分がたくさんあったんですね。  そこで、いままでのやり方じゃ会社が立ち行かないんだということを各社員に伝え、コストの削減を徹底して行いました。高齢者のリストラに始まり、原価や作業工程の見直し。まず私が会社のことを知らなければと、人事に経理、営業に製造と、すべての面に首を突っ込んでの荒療治でした。
 ―それまでのお取引先とは?
 渡辺 当時は7、8割が学校教材の問屋さんでしたが、直接行き来することもなかったようなんです。そこで、営業部や開発部へ順番に足を運んでみると、「これまでまったくお見えになりませんでしたね」などと言われたりもしましたが、行けば行ったで、「じゃ、こういうのはできますか」とか「次のカタログに載せましょうか」と声をかけてくださって、具体的に話が進んでいくわけですよ。  なかでも大きな出来事だったのが、伊東屋の地球儀フェア。「手貼りのデモンストレーションをやってくれないか」とお誘いをいただいて。これまでもそういう話はあったようですが、うちは「そんなことはしなくていい」と非協力的だったらしいんです。  でも私は全面的に協力しますと、いろんな百貨店のバイヤーの方々もお呼びしてみたんです。そこで実際に現場を見てもらうと、うちにどれだけの品揃えがあって、いかに丁寧に作り込まれているかが分かりますし、一般のお客様も足を止めて見てくださるしで、やっぱり目に見えて数字は違うんですよ。ある百貨店で一桁だった月の売り上げが二桁になった。そうした中、伊勢丹や東武百貨店、三越など、どんどん販路が広がっていったんですね。  それに私自身も肩肘を張らない、というか、張りようがなかったので(笑)、相手もたぶん言いやすかったんだと思うんです。それをまた私がおもしろがるので余計に広がっていくというか。そのうち大学教授をはじめ、先生方とのネットワークもどんどんできていって、科学館や教育機関からも声をかけていただけるようになり、2年目には黒字に転換していました。

「普通の人」にいかに喜んでもらえるか

 ―御社の創業は昭和12年、地球儀製造の草分け的存在といわれますね。
 渡辺 初代の渡辺雲晴は、日本で初めての本格的な地球儀・天球儀を作った人です。でもうちの会社は職人気質といいますか、いままで「いいものを作ってるんだ」という自負心がありすぎたんだと思いますね。そうしたら販売するほうも、「こっちが売ってやるんだから、少しはサービスしろ」という関係になっちゃって、お互いに進歩をしていかないと思うんですよ。  さっきの東海大学じゃないですが、せっかくいいものを作っても、自分で抱えていちゃしょうがないでしょ。やっぱりお客様に「ああ、いいものが手に入ってよかったなぁ」と言ってもらえる場面をどんどん作っていかなくちゃいけないわけで。
 ―昨年の年商は先代の2倍にあたる約1億円。専業主婦が老舗メーカーを見事に再建されましたね。
 渡辺 そういう紹介の仕方をよくされるんですが、それまで全然仕事をやっていなかったわけじゃないんですよ。
 大学時代、英文科に通っていた私に、先生方は大学院に行けばと勧めてくださったんですけど、大学を出ても英語をしゃべれない人が多いですよね。私の場合はしゃべれないものはダメだ、やっぱり使わなきゃって思うんです。  だから、英語を使うためにあえて貿易商社に入り、そこで身につけた英会話を武器に、今度は画廊で働きだしたんです。お客様はほとんど外国人。円が1ドル=360円の時代だから、すごく売れる時代でした。そして結婚してからも、子どもたちを相手に英語教室を開いたりしました。書いてあることをただ教えるのではなく、キャンプをしたり、長期のホームステイを組んだりしながらの体験型英語教室です。
―それらの経験が会社再建にも生かされた。
 渡辺 そう思います。特に私の代になってから、解説書もほとんど書き換えたんですね。顧問の先生に「渡辺さんが分からないような解説書は、現場の先生にだって分からないんですよ」と言われて。それまでの解説書って、小難しく、確かに見直されて然るべきものだったんですね。使う人にとって、いかに分かりやすいものを書くか。子どもたちに、工夫しながら英語を教えていた経験が生きました。  でも相当な労力が必要で、たった1ページ分を書くのでも分厚い本を3冊は読んだりしました。それでも分からないところは、開発者の先生に直接会って聞いてみる。そうやっているうちに、地球儀の持つ仕組みや機能といったものが本当によく学べたわけですね。それは営業の一番の強みでしょ。
 ―そういえば御社の製品は、一般の人が見て「いいなぁ」と思えるものばかりです。
 渡辺 あぁ、それは私の視点の中にあると思います。なにせ私自身が普通の人なんだし(笑)。あまりマニアックな世界に入り込まないということも、方針の一つですね。
 ―今後の展望をお聞かせください。
 渡辺 以前、300年前の地球儀を復刻した商品を5万円以上で販売したところ、これがよく売れているんですよ。日本人は、ものづくりに関してすごいこだわりを持っていますが、そのこだわりを評価してくれるのも、また日本人なんです。最近は海外でもうちの製品が喜んでもらえることが分かってきたので、また新たな使命があるかなと感じています。