朝日新聞に紹介されました。

2011年3月

地球儀に進路見えた-夫の後継ぎ会社再建

専業主婦から突然、会社経営者になった。夫の死で生活も立場も一変した。「苦しい」と感じる余裕もなかった。17年間、渡辺美和子さん(62)は駆け抜けてきた。
 草加市稲荷3丁目にある地球儀の専門メーカー「渡辺教具製作所」は1937年創業。戦後、海上保安庁水路部などの指導を受け、地球儀製作の手法を確立した。中学から大学までの一貫校を卒業し、当時珍しかった大卒女性で働いていた時に出会ったのが、3代目社長の浩さんだった。25歳で結婚し、退職して息子3人を出産、平凡な主婦をしていた。
 浩さんの体調に異変が起きたのは1994年ごろ。病名は胃がん。摘出手術を受けたが再発し、医者には「いつ亡くなってもおかしくない」と告げられた。
 翌年1月7日。「あなたは経営に合っている。任せた」。そう言い残して逝った。47歳。2人きりの静かな最後だった。
 会社を引き継ぎ、経理帳簿を見て驚いた。収入がない。バブルが崩壊したころ。従業員の給料のため、社長が泥棒して逮捕されたという新聞記事を読み、他人事には思えなかった。
 「父親からは『子どもの前で涙を見せるな』と言われました。メソメソしている余裕はなかった」
 10人にも満たない従業員をリストラするしかなかった。ベテラン2人を数ヶ月説得し、辞めてもらった。自分の給料も下げた。
 販路を拡大するため、1人でデパートや量販店、問屋を回り、営業した。初めはすべて飛び込み。試行錯誤の末、取引先の要望を聞き入れ、新しい商品を次々に開発していった。東海大学情報処理センターから送られる衛星画像データをもとに地図を更新できるシステムも作り上げた。
 営業努力が実ったほか、学習教材に地球儀や月球儀の活用が推奨された影響もあり、売り上げは順調に伸びた。日本語版の市場が限られているが、現在では約30種を年間2〜3万個製造し、有名文房具店や百貨店などに卸す国内トップクラスのメーカーになった。
 「いつか子供が継いでくれればいいと、気軽に考えたからやってこられた」。長男はグラフィックデザイナーとして一緒に働く。将来は心配なさそうだ。
 「物が少ないのを我慢して育った世代。夫の死後、父親と義父も亡くし、3人とも臨終に1人で立ち会った。大切な人を失う悲しさを味わった。それでも楽しいこと、良かったことはいっぱいあったと思います」。かつてのお嬢様は笑顔で語った。