日本の地球儀メーカー渡辺美和子氏が行った単なる倉庫整理が、半世紀前の米陸軍による当時の東京地図作成の事実を示す鮮明な証拠品の発見に繋がった。米陸軍はさらに、関東、京都、東海、金沢、北海道、名古屋、大阪など、25万分の1の立体地図を作成していた。現在も業界基準となりうるこの地図の精密性は、日本の地図作成産業の発展に貢献できるほどのものであった。 渡辺氏は地球儀を始め、教育製品を作成する渡辺教具の社長である。2002年、(本社の)3階倉庫を整理したところ、二つの段ボール箱に30点余りのセルロイド製立体地図を発見した。大きさは、約70cm×53cmで保存状態が非常に良かった。 この地図こそ、東京の王子基地に配置されていた米軍地図局極東支部により作られた50年前のものに違いないと日本地理学調査研究所の菊池三昭氏が渡辺氏に語った。菊池氏によると、同研究所は全51枚の立体地図を保有している。AMS(米陸軍地図局)地図原版の精密度は非常に高く、50年前の基準をはるかに超えるものであると日本地図センターの小林与一氏は話す。1973年、日本地学調査研究所職員が当新聞の印刷が行われている東京赤坂プレスセンターを訪問した際、51枚の地図を受け取ったと小林氏が語った。以降、日本の各研究機関、企業及び個人のために再生されてきた。 米軍地図局が王子基地に配置されていた当時は、米国外最大級の地図作成機関であった。1985年に日本に返還されるまで基地の本部として使われていた建物が、今でも文化センター及び図書館の役割を果たしている。地図局の業務が基地の閉鎖に伴い終了し、日本人技術者の多くが地図作成の会社を設立し、日本の地図業界の発展に貢献したと歴史家がいう。 約半世紀後完全な状態を保ち、偶然に発見されたこの30点余りの地図が、なぜ段ボールに梱包され、渡辺教具の倉庫に保管されていたのかが今も不明のままである。地球儀会社を設立した継祖父である渡辺雲晴氏が、参考資料として地図を入手したが、何故か箱から出すことがなかったのではと渡辺氏は推測する。地図の入手時期、場所または、入手方法についても明らかではない。当時は公売はないし、地図の価格は分からな いと渡辺氏がいう。 しかしやっと、地図の長い休みが終る。渡辺氏が本社内に「地球と宇宙」という小規 模の地球儀博物館を一年前設立した。業界の基準に貢献した米陸軍の立体地図は、博物 館の特別展示として現代に甦った。